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神戸地方裁判所 平成6年(ワ)1391号 判決 1995年11月08日

原告

乾久美子

被告

湊正伸

主文

一  被告は、原告に対し、金四五〇万円及びうち金四〇〇万円に対する昭和六二年四月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その三を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金一一〇〇万円及びうち金一〇〇〇万円に対する昭和六二年四月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  本件は、後記交通事故により傷害を負い、後遺障害として左大腿部等に醜状瘢痕の残つた原告が、被告に対し、自動車損害賠償保障法三条、民法七〇九条に基づき、損害賠償(右傷害及び後遺障害に対する慰謝料並びに弁護士費用)を求める事案である。

なお、付帯請求は、右慰謝料に対する後記交通事故発生の日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金である。

二  争いのない事実

1  交通事故(以下「本件事故」という。)の発生

(一) 発生日時

昭和六二年四月一八日午前八時ころ

(二) 発生場所

神戸市中央区北長狭通六丁目四番一一号先路上

(三) 事故態様

原告が、本件事故の発生場所の歩道を歩行中、被告運転の普通乗用自動車(なにわ五五つ四〇三〇。以下「被告車両」という。)が後方から追突し、原告は、被告車両と電柱との間に左足を挟まれて負傷した。

なお、被告車両は、歩道に片側の車輪を乗せて停止しており、発進する際に、被告が誤つて、歩道を歩行していた原告に後方から追突したものである。

2  原告の傷害

本件事故により、原告は、左下肢瘢痕拘縮等の傷害を負い、次のとおりの加療を要した。

(一) 昭和六二年四月一八日から同月二一日まで、及び、同年六月一七日から同月二二日まで、神戸市立中央市民病院に入院

(二) 同年五月二五日から平成五年一月一一日まで、同病院に通院(実通院日数三六日間)

なお、原告は、右通院期間中、四回(平成元年二月、同二年三月、同年一〇月、同四年六月)にわたり、皮膚の移植手術及び皮膚の整形手術を受けた。

3  原告の後遺障害

右皮膚の移植手術の結果、原告には、左大腿部に縦約一二センチメートル、横約八センチメートルの範囲の、その上部に長さ約五センチメートルの、左膝裏側に縦約一〇センチメートル、横約四センチメートルの、各醜状瘢痕が残つた。また、右移植手術に供する皮膚を切り取つた左足鼠蹊部から左下腹部にかけて、長さ約一三センチメートル、幅約一・三センチメートルの醜状瘢痕が残つた。

なお、右後遺障害は、自動車損害賠償責任保険において、自動車損害賠償保障法施行令別表一四級五号(下肢の露出面にてのひらの大きさの醜いあとを残すもの)に該当すると認定された。

4  被告の責任原因

被告は、被告車両の運行供用者であり、かつ、1(三)(争いのない事故態様)記載の過失があるから、自動車損害賠償保障法三条、民法七〇九条により、原告に生じた損害を賠償する責任がある。

三  争点

本件の争点は、原告に生じた損害額である。

この点に関し、原告は、右入通院及び後遺障害による原告の精神的苦痛に対する慰謝料として金一〇〇〇万円、弁護士費用として金一〇〇万円を主張する。

第三争点に対する判断

一  後遺障害に対する慰謝料の金額を定めるにあたつては、自動車損害賠償保障法施行令別表に定める等級は一応の参考となるものの、右の表自体が労働能力の喪失に着目しているにすぎず、精神的苦痛の程度に必ずしも合致しているとはいえないことから、これを機械的に適用するのではなく、個別的な事案における慰謝料請求権者の受けた客観的な精神的苦痛を具体的に判断する必要がある。

これは、傷害に対する慰謝料の金額を定めるにあたつても同様であつて、単に入通院期間から機械的にこれを定めるのではなく、個別的な事案における慰謝料請求権者の受けた客観的な精神的苦痛を具体的に判断する必要がある。

二  そこで、以下、本件において、争いのない事実2記載の傷害及び同3記載の後遺障害により、原告の被つた具体的な精神的苦痛について検討する。

甲第三、第四号証、第六号証、検甲第一、第二号証、証人乾登美子の証言、原告本人尋問の結果によると、次の事実を認めることができる。

1  本件事故当時、原告は親和女子高等学校の三年生であり、本件事故は、原告が通学途上に起きたものである。

そして、本件事故の態様は前記のとおりであり、原告には全く落度はなかつた。

2  争いのない事実2記載のとおり、原告は昭和六二年四月二一日、神戸市立中央市民病院を一応退院したが、直ちに復学するには至らず、原告が復学したのは同年五月二七日である。なお、原告は、当時、右高等学校の美術部部長をしており、同月三日に行われた右高等学校の文化祭に、その責任上、登校したことがある。

3  原告は、本件事故当時、東京芸術大学建築学科への入学を志望しており、同学科の入試には、通常の科目以外に、建築写生、色彩構成、立体構成等の試験があつたため、原告は、本件事故当時、美術の専門学校へも通つていた。

しかし、本件事故のため、原告は、約一か月間はほとんど受験勉強をすることができず、同年六月末ころまでは松葉杖が必要で、本件事故による傷害の治療のため、入試に対して相当のあせりや負担を感じていた。

なお、原告は、事故翌年の昭和六三年四月、右学科へ入学した。

4  争いのない事実2記載の皮膚の移植手術及び皮膚の整形手術は、大学の休暇を利用して行われている。そして、このために、原告は、友人から誘われた旅行を断わるなど、大学生生活にも影響が及んだ。

5  原告は、争いのない事実3記載の後遺障害が残ることをほとんど予想しておらず、昭和六二年九月ころ、医師から、傷痕が残る旨告げられたとき、さらにその後に、美容整形外科の医師から、これ以上傷痕を目立たなくすることはできない旨告げられたときには、相当の精神的衝撃を受けた。

なお、現代医学の水準では、原告に右傷痕が残つたのはやむをえないことであり、今後も一生、右傷痕は残存する。

6  原告は、右後遺障害のために、膝丈ほどのスカートをはくことにも躊躇をおぼえ、これを避けている。

また、原告は、大学一年の時は、共用の浴場を使用する寮で生活していたが、同性と一緒に入浴することもほとんどしていない。ましてや、水着になつて、海やプールに行くことはない。なお、原告は、右後遺障害のために、恋愛に対してもやや消極的になつている。

7  原告は、平成四年三月、東京芸術大学を卒業した。そして、その後、語学の勉強をした後、平成五年六月に渡米し、同年九月からエール大学大学院で建築関係の学問を修めている。

なお、原告の同大学院への留学期間は三年間の予定である。

三1  右認定事実によると、若い独身の女性である原告が、左足に残つた瘢痕に苦痛を感じ、日常生活においてもその影響が及んでいるのみならず、将来の恋愛・結婚等に対して少なからぬ不安を覚えていることが認められ、かつ、客観的に考えて、原告がこのような精神的苦痛を感じるのも当然のことであるというべきである。

しかし、恋愛・結婚をはじめとして、人間としての魅力が、単なる外面上の美醜ではなく、本質的には、その人の内面的な輝きによつて決せられることは他言を要しない。そして、原告は、外国に長期間留学して建築関係の学問を修めていることをはじめとして、同年配の女性と比較しても、より真摯に人生に向きあつており、弁論の全趣旨(特に、原告本人尋問における原告の陳述態度)によると、本件事故による後遺障害にもかかわらず、原告の内面的な魅力は人一倍優れていることが認められる。

そして、これら本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、本件事故により原告の受けた精神的苦痛を慰謝するためには、合計金四〇〇万円をもつてするのが相当である。

2  原告が本訴訟遂行のために弁護士を依頼したことは当裁判所に顕著であり、右認容額、本件事案の内容、訴訟の審理経過等一切の事情を勘案すると、被告が負担すべき弁護士費用を金五〇万円とするのが相当である。

第四結論

よつて、原告の請求は主文第一項記載の限度で理由があるからこの範囲で認容し(遅延損害金の始期は、原告の主張による。)、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 永吉孝夫)

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